怠慢

今日は久しぶりの予備校のバイトである。

どうも最近は自分に甘い気がする。
バイト先での人間関係は極めて良好だと思っているが
どうもその蜜の甘さに甘えきっているような気がする。肝心のアルバイトに求められている仕事を
しっかりとこなせていないな、という印象を働きながら覚えたことが多々あった。

いかんいかん。
常に自分には厳しくあらねば。
そして人には優しくあらねば。

そう考える半面、人に優しくする加減を掴み損なっている自分がいるのではないかとも疑ってしまう。
その人のためをと思い行動した結果、相手も当然喜んでくれるのだが
それは相手の需要ありきで成り立っている事であり、どうもその需要の手のひらの上で踊らされている

早い話が利用されているように感じる。


うーん、どうすればいいのでしょうか?

ダーツとは

久々に近所の遊び場でダーツを3時間ほどたしなんだ。

あまり普段からするわけでもないが、それでも不思議と飽きがこない。
恐らく自分に足りない冷静さや気の長さが、同じようにこのゲームには求められているからだと考える。

つまり上手くなりたいと思うことは同時に自分の欠点を克服するための一つの手段であるということだ。
少なからず、自分の短所の一部を把握できているからこそできる芸当なのでは?と

たまには自画自賛をしてみるが、決してそんなわけはないのである。

『最強のふたり』

バイト先の友人と映画へ。
この友人とは結構仲がいい。
決して友人の数は少ないわけではないと自負しているが、彼はその中でも頭一つ抜きんでて賢いと思う。
なんというか、思慮深い。思考が深いタイプの賢さだと勝手に感じている。
恐らく頭の回転も速いのだろうけど、それを感じさせない落ち着いた雰囲気もまた彼の良いところである。


今日は前から観ようと言っていた『最強のふたり』を観た。フランスでは大人気の映画である。
実在する人の話で全身麻痺の大富豪とスラム街で暮らす黒人青年との掛け合いが面白い。
そこには黒人独特の、というと差別的であまり好きではないが日本人にはないユーモアがふんだんに盛り込まれている。
しかしその掛け合いの中で当初は全くの別世界で生きてきた二人が、その文化の違いに戸惑いながらも
お互いをパートナーと認め、そして新しい楽しみをお互いが共に見つけながら人生を歩んでいく。

この映画のテーマは何であろうかと考えたときに一言で言い表せなかった。
もちろん感じ方は人それぞれである事は言うまでもない。
そして恐らく推測するにこの映画のメインテーマは障害と言ったバックグラウンドを無視した
本質的な所での、人と人との触れ合いではないのだろうか、と考える。
障害を持っていること。肌の色が違うこと。そういった差別の材料に時として利用されるテーマを出しながらも
そういった物を取り払って出来る二人の関係性に非常に惹かれる映画であった事は間違いない。

しかし同時に貧困と言った格差も大きくクローズアップされているようにも感じた。
ただそういった様々な社会問題を内包しながらもストーリー自体は一切嫌味を感じさせない心温まるお話だった。

お互いを、その人の背景にあるもの、地位・名誉・権力、そういった物を全て抜きにして認め信用できる人というのは
そうそう簡単に出来るものではないだろう。
だからこそ、そういった人が自分の目の前に現れた時に人生というのは大きく変わるのかもしれない。

いやはや

今日で8月も終わり。
異常なまでに月日が経つのが早い。

そんな記念すべき8月最後の日は昼までバイトして
夕方からバイト先のメンバーでヒトカラ・ヒトプリという半罰ゲームな遊びを刊行していました。
まだまだ若いなーと実感。

つくりあげたもの

結局、京都の友人宅へ泊まって朝に帰宅。
やはり遊びに行く分に関しては京都は飽きない。
しかし、インターンを通じて本当に良い仲間に出会えた。

感謝してもしきれない。


午後はバイト先の研修。
毎度ながらやる意味あるのだろうか。。。と思うのだがそこはご愛敬。
しかしこのバイトも大学入学時から続けているのでかれこれ4年目になる。
あっという間のように感じられるが、思い返そうとすると色々な思い出がよみがえる。

続けてきて良かったなーと改めて思い返せる日でした。

こだわりと固執

さて、何度も足を運んだ京都。
今日もインターン先で知り合ったD大生3人と晩御飯を食べに。

ひとまず自分を含めたみんなが就職先も無事に決まり、一安心である。
どうなるかなーと思ってた事もあったが(偉そうに)終わってみれば
何事もなく無事に終わったように感じる。

しかし、相変わらず酒に飲まれるような飲み方をしている。
反省せねばなぁ。。。

色々と話をしたけども、良い意味で真面目になったなぁ。という気がした。

確かに、少し異常めいた時期もあったがお互いが後悔してないことは唯一の安心点か。
ただ、それに慣れきってた分どこか空虚さが残っているのも事実。
その抜けた部分を、昨日話をしていく内に埋めていく事ができたのかなぁ、と。
完全に自分の中での問題だったので、それに付き合わせる形をとらせてしまって申し訳なかったが。。。

せっかく何かの縁で知り合ったのだから、やはり友人と言うのは大切にしていかねばならない。

今日も明日も自分に関わってくれた人には感謝である。

ほとぼり

「ほとぼり」っていう漢字ないんだね。
なんか意外。


少しの時間と距離を置くと、驚くほど『熱』が下がる。
その当時は、『これしかない』『これに間違いない』なんて確信していたものも
ふと時間と距離を置いてもう一度冷静に考え直すと、どうしてそこまで確信できていたのか
過去の自分に問いかけたくなるような気持ちになる。

しかし不思議な事に喪失感はしっかり手元に残っている。
どこか物悲しくなる。

別に何も手に入れてないし、何も失ってもいない。
ただ何か寂しい気持ちになるから、今日も僕は車を走らせて気を紛らわせる。

全神経を集中し、でもそれでいてどこか楽しい。
カネのかかる趣味かもしれないが、それでも車は僕の一生の趣味になりそうだ。