<span class="deco" style="font-size:small;">感化される自分
考えや感じた事を文字に起こす事で初めて物事を考えたという事だ
そんな一文を発見したので早速やってみようと思うのは、やはり何にでも影響されやすい自分の特性の一つだ。
今日はバイト先の同期と集まって飲んでいた。
さすがに4回生ともなると話も真剣な内容になる事が多かった。
しかし人の意見・考えを聴くのは面白い。
その人の価値観なんて言うのはその人と話して初めて分かる事だ。
それが自分が持っている物と違えば違う程それは面白みを増すと思う。
・自分に関することは前向きに考えた方がいい方向に転ぶだろう
そういう言葉が今日の会話の中で一番印象に残っている。
それは自分が後ろ向きな思考をしやすい人間だからだろう、いわば真逆の考え方だからだ。
ただ「思考は現実化する」という本があるとおり、やはり思考というのは何らかの形を通して体現されていくのだろう。
自分に関して言えばそれは堅実な、まじめな物の考え方が今までのキャリアに出てきているのは明らかだ。
無難というか、どこかで安全性を確保できる選択を常にしている。
不確実な事が多い現代ではそれは有効的な手段かもしれないが、失敗を恐れず挑戦することであったり少しばかりリスクを取った行動をするというのも若いからこそできる特権的なものかもしれない。
僕はその部分に関して僕自身、非常に弱いと感じている。
心配性だからこそリスクを考えた上で思い切って行動することが大事だと就職支援課長にも言われた。
思い切りの良さ・挑戦心…それが僕の今一番の課題なのだろう。
母の体調は少しずつ良くなっているが不安はぬぐいきれない。
会話に関しては今までと何ら変わりないのに、それがあと1年も続かない。
そんな現実を僕は覚悟していると思っていたができていないのかもしれない。
僕は来る親を失うその日を迎え入れる状態にはなっていないのかもしれない。
今の現状を本当に受け止めていないのかもしれない。
ただ一つ、今現在目標にしている事はこれからの日々を、後々になって悔いの残らないものにすることだ。
親孝行に関する後悔というのは、如何に普段から行っていても必ず生じるものだと考える。
でもそれを極力少なくすることは可能だと思うし、これはかなり前向きな考え方ではないかと自分で感じている。
だから残された時間は少ないかもしれないが僕が今からできる親孝行として考えた「一緒に過ごせる時間は可能な限り過ごす」という目標を
達成していきたい。
もちろんそれは楽しい事ばかりではない。
今後の治療内容を聞き、かつ現状を見た時それは本人ほどではないにしても辛いものがあるかもしれない。
今まで元気に支えてくれたいた親が弱っていき、それでも必死になって元の生活を取り戻そうとするその姿を見ることは辛いかもしれない。
それでも僕は残された少ない時間を母のために使いたい。
本来なら高価なプレゼントをしたり、旅行に連れて行きたかった。
しかし、それを叶えられるかどうか定かではなくなった今、今できる事を実践していきたい。
それが僕の覚悟だ。